三島由紀夫の「会計日記」が公開されている(山中湖、三島由紀夫文学館)
毎日新聞によれば:
三島日記まるで家計簿 文筆生活可能か検証?そう、お金は大切です。
日記は、まるで家計簿のように、個々の支出とともにその累計も記され、冷徹に事実と数字が並んでいる。たとえば、46年6月18日の記述はこんな具合だ。「電車賃1.00、日刊スポーツ0.50、カルピス2杯10.00」(中略)三島由紀夫文学館(山梨県山中湖村)の工藤正義・学芸室長は「原稿料で生活できるかどうかを検証するため、どれぐらい使うかを知りたかったのではないか」と指摘する。そして、検証の結果、これでは生活できないと大蔵省に勤務することを決めたのでは、と推測する。
4月1日から公開されているらしい。今度行ったときに見てこよう。なかなか立派な文学館で、ああいうものは三島由紀夫の出身地の東京にもない。あれだけのものを作った山中湖村はエライ。三島の書斎も文房具もそのままに復元されている(机の上に三島のモンブランの万年筆が置いてあるのだが、手を伸ばせば持ち去ることが出来る距離で見ることが出来る。ちょっと心配だね)。
三島由紀夫が生まれたのは、今の四谷4丁目。4丁目交差点の四谷寄り一つ目の横道を北に行って中程左側。当時は男娼窟もあった。高級官僚だった父とこれまた高級官僚だった祖父(平岡定太郎)と同居していた。高級官僚がどうして男娼窟の近くに住むのかと言うところだが、それが東京山の手市街構造の面白く複雑なところ。三島由紀夫はお手伝いさんに手を引かれて男娼窟の横を通って学習院に通った。
祖父の平岡定太郎は夏目漱石と東大で同期。スキャンダルで樺太庁長官を辞任してからはきな臭い商売に手を染めたりなんかした。漱石『それから』に出てくる不倫相手の旦那(平岡)、及び『それから』の続編と言うべき『門』の安井のモデルであるという説が有力である。漱石自身、幼少期は四谷4丁目付近に養子にやられている。漱石と三島由紀夫には、かなり曰く付きの接点が存在する。
漱石の方が偉大な作家であったことは言うまでもない。でも東京には漱石文学館がないんだな〜(三島文学館も東京にはないけれど)。なにせお金がない。石原慎太郎よ、東京もちゃんと地方交付税を貰って「漱石文学館」を作れ!
参考:
三島由紀夫が生まれたのは、今の四谷4丁目。4丁目交差点の四谷寄り一つ目の横道を北に行って中程左側。当時は男娼窟もあった。高級官僚だった父とこれまた高級官僚だった祖父(平岡定太郎)と同居していた。高級官僚がどうして男娼窟の近くに住むのかと言うところだが、それが東京山の手市街構造の面白く複雑なところ。三島由紀夫はお手伝いさんに手を引かれて男娼窟の横を通って学習院に通った。
祖父の平岡定太郎は夏目漱石と東大で同期。スキャンダルで樺太庁長官を辞任してからはきな臭い商売に手を染めたりなんかした。漱石『それから』に出てくる不倫相手の旦那(平岡)、及び『それから』の続編と言うべき『門』の安井のモデルであるという説が有力である。漱石自身、幼少期は四谷4丁目付近に養子にやられている。漱石と三島由紀夫には、かなり曰く付きの接点が存在する。
漱石の方が偉大な作家であったことは言うまでもない。でも東京には漱石文学館がないんだな〜(三島文学館も東京にはないけれど)。なにせお金がない。石原慎太郎よ、東京もちゃんと地方交付税を貰って「漱石文学館」を作れ!
参考:
三島由紀夫の生涯 安藤 武 夏目書房 1998-09 by G-Tools
〔追記〕永井荷風とも若干関係あるエントリー。
|
Posted: Mon - April 4, 2005 at 05:54 PM Letter from Yochomachi 山中湖 Previous Next Comments (13)
0 件のコメント:
コメントを投稿